2013年1月12日土曜日

1/12 5年生が宮古市田老と普代村を訪問

 1月9日と10日に、8人の5年生と、私を含む3人の職員が、岩手県の宮古市と普代村を訪問しました。NPO法人が主催したこの事業は、被災地を訪問し、防災だけでなく、地域のつながりやこれからの生き方を考えようというもので、秋田市の外旭川中学校の2年生8名も一緒に向かいました。

 9日は朝7時30分に出発し、宮古市の田老地区に午後2時に到着。














 最初に訪れたのは田老第三小学校。校長の荒谷先生からは、避難したときの様子のほか、命の大切さ、正しい判断ができるようしっかり勉強することなど、たくさんのお話をうかがいました。特に、校長先生のお母様が小学校六年生の時、昭和の大津波を経験したことをしたためた作文には、子どもたちと同様、私も大きく心を動かされました。(夜の交流会に、お母様においでいただきました。本当に感激しました。ありがとうございました。)











 次に訪問したのは、田老第一中学校でした。全長2.4㎞、「万里の長城」とも呼ばれた巨大防浪堤を乗り越えて町を襲った津波は、この中学校の一階にとどきました。佐々木校長先生からは、全校生徒と一緒に避難した時の状況、その夜、そして次の日からの生活を詳細にお話いただきました。命を大切にすること、この教訓を風化させてはならないことを切々とお話いただき、これから希望を持って生きる力をつけるよう、励ましていただきました。
 お話を終える頃は、もう5時をまわっていました。中学校の明かりと国道を走る車のライト以外は真っ暗です。今日のお話があった防浪堤や校舎の周りは、次の10日に、もう一度、佐々木校長先生からご説明していただきました。






















冬晴れの中、防浪堤をみんなで歩きました。津波で壊されたコンクリートの塊があちらこちらにありました。堤防の向こうには、穏やかな海が見えました。












 2日目に訪問したのは、「普代村の奇跡」として知られる普代村です。熊坂教育長さんから、激励の言葉をいただいた後、震災時やその後の譜代小学校や中学校の取り組みや状況について教育委員会の方から説明をいただきました。
 その後、津波を防いだ15.5メートルの防潮水門へ。























この水門を超えてきた津波の大きさを思い、子どもたちも私たちも絶句しました。両脇の山の木々は、津波が及ばなかった高さにしかなく、改めてその恐ろしさを思い知らされました。

この訪問は、私にとっても、本当にたくさんのことを考えさせられた二日間でした。仮設住宅もたくさんありました。「もう震災の風化が始まっている」とお話された熊坂教育長さんの言葉をいつまでも忘れてはいけないと強く思った二日間でもありました。

帰路、バスの車中で、この二日間に学んだことを自分自身でもう一度考え、家族や友達、学校の人たちに伝えていくことを誓い合い、19時半、出戸小に到着しました。

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